【2日目】沖縄戦の記憶を辿る
2日目は、太平洋戦争末期に沖縄が経験した壮絶な地上戦と、その中で犠牲となった人々の記憶を辿る旅です。那覇市内からスタートし、南部へと移動していきます。
対馬丸記念館

所在地: 沖縄県那覇市若狭1-25-37
アクセス: ゆいレール県庁前駅から徒歩約15分
「対馬丸記念館」は、1944年8月21日に起きた「対馬丸事件」の犠牲者を追悼し、その記憶を後世に伝えるために設立された施設です。対馬丸は、沖縄から九州への学童疎開の一環として約1,800人を乗せて出航しましたが、アメリカの潜水艦・ボーフィン号(後に判明)によって魚雷攻撃を受け沈没。約1,500人が犠牲となり、そのうち約620人は小学生でした。
記念館では、生存者の証言、遺品、写真などを通じてこの悲劇を伝えており、展示は華美ではないものの、静かな語り口で平和の尊さを訴えかけています。特に「祈りの空間」では、夜空を模した天井が設けられ、子どもたちが最後に見たかもしれない空を表現。「あの青い空のように平和な世界であってほしい」というメッセージが込められています。
【歴史ポイント】
- 1944年8月21日:対馬丸が米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃により沈没
- 2004年8月22日:対馬丸記念館が開館
レンタカーで南部へ
那覇市内から沖縄県南部(糸満市方面)への移動はレンタカーが便利です。那覇市内には多くのレンタカー会社があり、予約しておけばスムーズに借りることができます。
沖縄本島南部は「鉄の暴風」と呼ばれる激しい地上戦が展開された地域で、今も多くの戦跡が残されています。約30分の車での移動で、旧海軍司令部壕に到着します。
途中お土産を買うなら「ショールーム&流通センター 沖縄菓子土産」がお勧めです。
旧海軍司令部壕

所在地: 沖縄県豊見城市豊見城236
アクセス: 那覇空港から車で約15分
「旧海軍司令部壕」は、太平洋戦争末期に日本軍が構築した地下施設で、沖縄防衛の司令部として機能していました。全長450mの地下壕内部を実際に歩いて見学することができます。
この壕内で、大田実海軍少将が「沖縄県民斯く戦へり」という最後の電報を打った後、1945年6月13日に自決したことでも知られています。壕内の展示では、当時の様子を再現したジオラマや写真資料を通じて、地下壕での軍の活動や最期の様子を知ることができます。
【歴史ポイント】
- 1944年:沖縄守備軍が地下壕の構築を開始
- 1945年3月26日:米軍が慶良間諸島に上陸、沖縄戦の幕開け
- 1945年4月1日:米軍が沖縄本島に上陸
- 1945年6月13日:大田実海軍少将が最後の電報を打った後、自決
- 1945年6月23日:組織的な日本軍の抵抗が終結(「沖縄慰霊の日」)
- 1970年3月1日:旧海軍司令部壕が一般公開される
沖縄県平和祈念資料館

所在地: 沖縄県糸満市摩文仁444番地
アクセス: 那覇市から車で約40分
「沖縄県平和祈念資料館」は、沖縄戦の実相を後世に伝え、恒久平和の実現に寄与することを目的として設立された施設です。2000年に現在の場所に新館が開館し、沖縄戦に関する様々な資料や証言を展示しています。
館内では、沖縄戦の経過や民間人を含む20万人以上の犠牲者の実態、「集団自決(いわゆる強制集団死)」や住民が巻き込まれた悲劇などについて、写真や遺品、体験した方の言葉や情景、証言映像などを通じて詳しく知ることができます。
【歴史ポイント】
- 1945年3月〜6月:沖縄戦が展開され、軍民あわせて約20万人が犠牲に
- 1975年6月11日:沖縄県平和祈念資料館の前身となる施設が開館
- 2000年4月1日:現在の平和祈念資料館が開館
資料館から見える平和の礎(いしじ)には、沖縄戦で亡くなった日本人・米国人・韓国人・台湾人など、国籍を問わず24万人以上の名前が刻まれています。戦争の悲惨さと平和の尊さを静かに訴えかけるこの場所で、しばし黙祷を捧げましょう。
ひめゆりの塔(ひめゆり平和祈念資料館)

所在地: 沖縄県糸満市伊原671-1
アクセス: 沖縄県平和祈念資料館から車で約5分
沖縄戦で犠牲となった沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校(現・沖縄県立首里高等学校)の女学生と教師を追悼する「ひめゆりの塔」です。
沖縄戦が始まると、動員された女学生たちは「ひめゆり学徒隊」として陸軍病院に配属され、壮絶な環境の中で看護活動に従事しました。米軍の南下に伴い、彼女たちは南部へと逃れ、最終的に多くが「第三外科壕」に避難しましたが、第三外科壕を含む各地で多くの学徒が戦火に倒れました。
「ひめゆりの塔」の隣には「ひめゆり平和祈念資料館」があり、当時の状況や生存者の証言を知ることができます。静かな展示室の中で、少女たちが体験した戦争の残酷さと、生き残った方々の「二度と戦争を繰り返してはならない」という強い思いを感じることができるでしょう。
【歴史ポイント】
- 1945年3月23日:沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒・教師222名が「ひめゆり学徒隊」として動員される
- 1945年4月〜6月:南部の陸軍病院で看護活動に従事
- 1945年6月18日:日本軍による「組織的戦闘停止命令」が出され、ひめゆり学徒隊も解散
- 1945年6月18日〜22日:解散後の逃避行中に多くの学徒が、米軍の砲撃、手榴弾による自決の強制、壕内への火炎放射などにより犠牲に
- 1946年4月7日:生存者らによって「ひめゆりの塔」が建立される
- 1989年6月23日:「ひめゆり平和祈念資料館」が開館
塔の前に立ち、犠牲となった少女たちの年齢を思うとき、戦争の非情さを実感せずにはいられません。彼女たちは、今の高校生と同じ年齢で、未来への夢や希望を持ちながら、突然の戦争によってその命を奪われたのです。
旅を終えて
一泊二日の短い旅ではありましたが、琉球王国の栄華から沖縄戦の悲劇まで、沖縄の歴史の断片に触れることができました。
初日に訪れた首里城や福州園では、東アジアの交易の要として栄えた琉球王国の国際色豊かな文化を感じることができました。そして二日目、対馬丸記念館から始まり、ひめゆりの塔で終わる沖縄戦の記憶を辿る旅は、戦争の悲惨さと平和の尊さを改めて考える機会となりました。
沖縄の美しい海と空は、約80年前の激戦の痕跡を隠すかのように鮮やかですが、この地に刻まれた歴史は決して忘れてはならないものです。沖縄の人々は、凄惨な地上戦を経験しながらも、憎しみではなく「命どぅ宝」(命こそ宝)という思いで平和を希求し続けてきました。
現代は、沖縄戦を直接知る世代が少なくなり、戦争の記憶が風化しつつあります。だからこそ、私たちは意識して沖縄の歴史に向き合い、平和について考える必要があるのではないでしょうか。
次に沖縄を訪れる機会があれば、美しいビーチやリゾートホテルでの滞在も良いですが、ぜひ一日だけでも歴史の足跡を辿る旅をしてみてください。きっと、違った角度から沖縄を見ることができるはずです。
戦争のない平和な世界を次の世代に引き継ぐために、私たちにできることは何か。この旅を通して、そんなことを考えるきっかけになれば幸いです。
旅の実用情報
移動手段
- 那覇市内: ゆいレールが便利です。空港から首里城まで乗り換えなしで行けます。
- 南部への移動: レンタカーが最も効率的。那覇市内には多くのレンタカー会社があります。
- バス: 路線バスも運行していますが、本数が限られる場所もあります。
訪問時の注意点
- 首里城: 火災後の再建中ですが、一部エリアは見学可能です。最新情報は公式サイトで確認を。
- 平和祈念資料館・ひめゆり平和祈念資料館: 展示内容に戦争の惨状を伝える写真や資料があり、小さなお子様には刺激が強い場合があります。
- 旧海軍司令部壕: 地下壕内は段差があり、足元が滑りやすいので、歩きやすい靴で訪問しましょう。
おすすめの時期
- 沖縄は年間を通して温暖ですが、6月23日前後は「沖縄慰霊の日」に合わせた催しが各地で行われます。
- 梅雨時期(5月中旬〜6月中旬頃)や台風シーズン(7月〜10月)は天候が不安定になることがあります。
宿泊
- 那覇市内: 交通の便が良く、ホテルも多数あります。国際通り周辺や旭橋・県庁前エリアがアクセスしやすいでしょう。
- 南部: 糸満市など南部エリアに宿泊すれば、2日目の訪問地へのアクセスが便利です。
持ち物
- 沖縄は日差しが強いので、帽子・サングラス・日焼け止めは必須です。
- 夏場は特に水分補給が重要です。ペットボトルの水を持ち歩きましょう。
- 各施設での黙祷や献花のための小銭があると良いでしょう。
沖縄の歴史を知り、平和について考える旅。それは決して重苦しいものではなく、過去を学び、未来へつなげる大切な時間です。この旅程が、皆さんの心に何かを残すきっかけになれば嬉しいです。