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森鴎外旧居跡 市指定文化財 北九州市

トラベル
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森鴎外の旧居跡が市指定の文化財として保存・観光出来る様になってます。
入館は無料なので近くに立ち寄った際に訪れると良いでしょう。

場所は後で記載しますが、旦過市場から歩いて行ける距離です。
月曜と祝日が休館ですので、連休の際に向かうと休館している事がありますので注意が必要です。

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森鴎外旧居

明治・大正を代表する作家、旧陸軍時代に明治32年6月19日から35年3月26日まで北九市小倉で勤務していた住居。

森鴎外が離れてからも幾人か居住していた事もあり、森鴎外が居住していた時のままでは無いですが、ほぼ同時の様に復元されています。

 

本名森林太郎。1862(文久2)年、代々津和野藩の典医を務める森家の長男として生まれました。

10歳のとき父と共に上京し、ドイツ語を学び東京大学予科に最年少で入学。大学では医学を学び、卒業後軍医となりました。1884(明治17)年からは、軍の衛生学の調査及び研究のためドイツへ留学しました。

 帰国後は軍医としての仕事のかたわら、小説「舞姫」「雁」「山椒大夫」「高瀬舟」、史伝「渋江抽斉」などを執筆。医学・文学の評論や小説・戯曲等の翻訳、ヨーロッパ文学の紹介などを行い、明治を代表する知識人として活躍しました。

 1907 (明治40)年には陸軍軍医総監・陸軍省医務局長に就任、1916(大正5)年まで務めました。陸軍を退職した翌年からは、帝室博物館総長兼図書頭の職につき、上野の帝室博物館や秋には奈良の正倉院にも赴き、亡くなる直前まで仕事を続けました。

 千駄木団子坂上にあった「観潮楼」には家族とともに30年間、1922(大正11)年7月9日、60歳で亡くなるまで暮らしました。

引用:森鴎外記念館
正面玄関

正面には受付などなく自身で入れます。

玄関を入ると今は新型コロナ対策の一環として訪れた際の日時や名前や電話番号を記載する紙が備えてあります。

建物や部屋は特段大きい訳では無いですが、縁台からは立派な中庭を眺めていた事が思い浮かべれます。
二階はありますが入る事は出来ません。

じっくりと見回しても30分位で見れます、古き良き昔の木造建築を感じられます。

アクセス

細い道沿いにありますので見つける事が少し難しいかも知れません。
駐車場はありませんが、近くにコインパーキングはあります。

開館時間。休館日

開館は10時16時30分
休館は月曜日祝日月曜が祝日の場合は翌日も休館
1月2.3日と12月29日・30日・31日も休館です

地図

〒802-0004 福岡県北九州市小倉北区鍛冶町1丁目7−2

ホームページは「北九州市 観光情報サイト」で確認出来ます

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